——気がつくと、自分の人生なのに、
主役が自分じゃなくなっている。
誰も悪くない。
ただ、そういう時代を、
私たちは長いあいだ生きてきたのです。
全人類住職化計画
2026年5月17日、始動。
——気がつくと、自分の人生なのに、
主役が自分じゃなくなっている。
誰も悪くない。
ただ、そういう時代を、
私たちは長いあいだ生きてきたのです。
私は奈良県宇陀市の山間にある、
報恩寺という小さなお寺の住職をしています。
お坊さんは、いろんな呼ばれ方をします。
「和尚さん」「先生」「おっさん」などなどなど。
そして「住職」とか「ご住職」とも呼ばれます。
実はこの「住職」という言葉は、「住持職」の略語です。
「住持」とは「仏教を保持する」という意味で、
後に、寺院を主管する僧侶を「住職」と呼ぶようになりました。
でも、僕はてっきり、
「お寺に住んでいることが仕事」
だと勘違いしていました。
なので、
これを夫婦でやってまいりました。
仏教をきちんと保持できているのかどうかは、
正直、分かりません。
それでも、
寺という器の主人だ、という意識を持つことで、
この30年間、やってこれた気がしています。
——ふと思うのです。
自分という肉体に魂が宿って、
この世に誕生した私たちも、
自分という器の主人なのではないか、と。
「住持職」という難しい意味は、ちょっと置いておいて、
「自分という器」の主人になることは、誰にでもできる。
それを「住職になる」と呼んでみたいのです。
Hōon-ji ─ A Place Where People Gather
これまでの時代は、
外に光がありました。
道は決まっていて、
その道を効率よく歩くことが、
正しい生き方とされていました。
数字で測れるものを目標に掲げ、
順番にクリアしていけばよかった。
でも今、
その光が消えつつあります。
AIが答えを出してくれる時代になっても、
「何を問うか」は、自分で決めなければなりません。
情報は無限にあっても、
「何を信じるか」は、自分で選ばなければなりません。
組織のルールが緩やかになっても、
「どう在りたいか」は、自分で定めなければなりません。
外からの光が消えていく時代に、
私たちは今、立っているのです。
仏教を開いたお釈迦様が、
亡くなる直前、弟子たちに残した言葉があります。
外の誰かに頼るのではなく、
自分自身を拠り所とし、
法(普遍的な真理)を拠り所として生きなさい——と。
これは、自分勝手に生きることではありません。
自分の意志で立ちながら、
同時に、普遍的な法と調和する。
自由と規律が、
矛盾せずに共に在る生き方。
2500年前のこの言葉が、
2026年の今、
私たちにとって、いちばん必要な言葉になっている気がするのです。
Hōon-ji Butsuden ─ Amida Buddha
住職ってひとつのお寺に1人なんです。
大きなお寺は職員の人もいるかもしれませんが、
なかなか組織として仲間を作るのは難しいです。
全人類住職化計画を始めるにあたり、
そこがネックだなと思っていました。
沢山の人と関わりがあるけど
どこかで感じる孤独感。
だから、自分のために
全人類住職化計画を始めようと
しているのかもしれません。
仏教の三宝(さんぽう)の中に
「教えを実践する共同体」が
含まれているように。
あなたが変われば、
あなたの周りも、少しだけ変わります。
そんな仲間が日本中に少しずつ増えていったら、
時代の景色が、ゆっくりと変わっていく気がするのです。
One by One ─ The Landscape Begins to Change
別で毎日発行している
「しずやん和尚の仏教HACK!」というメルマガで、
冒頭にいつも、無財の七施を紹介しています。
無財の七施——
お金がなくても、
特別なものを持っていなくても、
今この瞬間から実践できる、
七つの布施行です。
仏教の布施は、
お金や物を差し出すことだけではありません。
そして実は、
布施は「あげる側」ではなく
「機会を受け取る側」の善行として
お釈迦様は教えてくれています。
托鉢でお坊さんが鉢を持って立つのは、
お米やお金をもらいに行くためではなく、
「あなたが善いことをする機会を、お差し上げする」ためなのです。
与えるということは、布施行だと思って、
実践してきました。
——でも、正直に言うと、
私は、受け取るのがとても苦手なのです。
何かをいただくと、
ありがたい気持ちより先に、
こんな声が浮かんできます。
お寺へのお布施は、
受け取ることができます。
それは、報恩寺という場、
ご本尊、祖父から預かった伽藍——
それらへの布施だからです。
ところが、
これが私個人となると、
急激に反動が起きてしまうのです。
でも、お釈迦様が説いた布施が
「受け取る側」の善行のための機会だとしたら、
私が受け取らないということは、
誰かの善行の機会を、
私が遮ってしまっていることにもなります。
これを読んでいる皆さんの中にも
そんな人がいらっしゃるんじゃないですか?
そう気づいたとき、
私は決めました。
これからは、あえて受け取る側になってみよう、と。
「布施に生きる」というのは、
私が誰かに何かを差し出すこと
だけではなく、
誰かが私に何かを差し出してくれる機会を、
受け取ることでもある——
そう、自分に言い聞かせて、
この全人類住職化計画では
実装していこうと思っています。
私が差し出し、あなたが受け取る。
あなたが差し出し、私が受け取る。
その循環の中で、
布施が生きていく。
The Open Circle ─ Come and Take What You Need
Shizuyan-Oshō ─ Tenne Seiya
申し遅れました。
私は、しずやん和尚(天根静也)と申します。
1971年生まれで、今年で55歳になります。
奈良市内で生まれ育ち、
団塊ジュニア世代——
生まれたときから、競争競争の世界。
小学校4年生くらいから受験戦争に参戦し、
1浪して、念願の京都大学に合格。
しかし、その入学式の直前に、
先代住職の祖父が亡くなりました。
いい大学に入って、いい会社に就職して、という
当時の「いい」とされていた人生を歩むのか。
それとも、お寺を継ぐのか。
どちらの決断もできなかった僕は、
学生のあいだにお坊さんの資格は取ったものの、
モラトリアムな学生生活を、27歳まで続けました。
いろんな紆余曲折を経て、
長女が小学校に進学するタイミングで、
この宇陀にやって来ました。
きらびやかな京都から、移住して17年。
何もないこの宇陀の地で、
一生懸命、もがいてきました。
振り返ってみると、
私は人生で、いくつかの安心を、
自分から手放してきました。
京都大学のレール、
京都で築いた仕事の基盤——
それらは、自分の意志で
捨ててきたものです。
ところが今、
お寺の住職としての安心は、
時代の方が、奪っていく。
そしてこれは、お寺だけの話ではありません。
AIが、人間の
「必要とされる役割」を、
ひとつずつ消していきます。
自分から捨てた安心と、
時代に奪われていく安心。
——その両方を抱えながらも、
それでも私が
こうして立ち上がっていられるのは、
「安心」を目的に、
今まで生きてきたわけではないからです。
じゃあ何を目的に
生きてきたのか?
その答えがこの
全人類住職化計画の中に
詰まっていると思っています。
なにやら難しいことを
書いてきましたが、
しずやん和尚といたら、
なんだか元気になっちゃう——
そんな存在でいたいと思っています。
Genki ─ Joy Returns
2026年5月17日、
私が律師という位を授かってから、
ちょうど30年が経ちます。
論語の言葉を借りれば、「三十にして立つ」。
ここから、本番が始まります。
30年かけて積み上げてきたものを、
これからどう、世の中に手渡していくか。
その助走を、
今まさに走り始めているところです。
その始まりを、
一緒に見届けてくれませんか。
A Rainbow over Hōon-ji ─ The Beginning
全人類住職化計画 第1期は、
これから1年間かけて
行っていきます。
ネットの世界も、
一期一会。
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